NHK連続テレビ小説の2025年の秋放送の制作が決定しました。
タイトルは【ばけばけ】
この物語の主人公は島根県で生まれ育った松野トキ。
幽霊よりもこの世をうらめしく思っていた彼女が、つまずきながらも前向きに生きていくストーリーとのこと。
主人公である松野トキのモデルとなった人物が「小泉セツ」
ちょうど今年(2024年)はセツの夫である小泉八雲の没後120年、そして夫の著書である『怪談』が出版120年、という節目の年でもあり、脚光を浴びているようです。
では小泉セツさんとは、いったいどんな人だったのか。
生い立ちや家族構成、著書などについて調べていきたいと思います。
小泉セツについて
1868年2月4日生まれ。
松江の士族の娘として生まれるも、近代化が進んでいた士族没落の時代。
実家である小泉家も、養女に出された稲垣家でも困窮した生活を送る。
1891年2月頃、アメリカの雑誌記者で英語教師として松江に赴任した「ラフカディオ・ハーン」の世話係として住み込みで働くようになる。
1896年2月にラフカディオ・ハーン(のちの小泉八雲)と結婚。
三男一女、4人の子供に恵まれる。
(1893年11月17日、長男・一雄が誕生)
(1897年2月15日、二男・巌が誕生)
(1899年12月20日、三男・清が誕生)
(1903年9月10日、長女・寿々子が誕生)
1904年9月26日、夫が心臓発作で54歳で亡くなる
小泉セツの夫について
本名:パトリック・ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)
1850年6月27日、ギリシャ西部のレフカダ島生まれ
(父)チャールズ:アイルランド出身の軍医
(母)ローザ:ギリシャ・キシラ島の出身
(国籍)イギリス
16歳の時、遊戯中に左目を失明。
19歳の時、父母に代わって八雲を養育した大叔母が破産したことから、単身でアメリカに移民。
ジャーナリストとして文筆が認められようになる。
1890年4月に来日。
万博で出会った日本文化やニューヨークで読んだ英訳『古事記』の影響を受け来日を決意。
8月には松江にある島根県尋常中学校に赴任し英語教師になる。
1896年2月10日、帰化手続きが完了し「小泉八雲」と改名
1896年9月から帝国大学(今の東京大学)文科大学講師として英文学を講じる。
1903年には帝大を解雇される。
後任は夏目漱石。
1904年9月26日心臓発作で54歳で亡くなる。
翻訳・紀行文・再話文学のジャンルを中心に生涯で約30の著作を遺す。
著書『怪談』
小泉八雲は約30の著作を遺していますが、その中のひとつである『怪談』
妻であるセツから聞いた日本各地に伝わる伝説、幽霊話などに独自の解釈を加えて書き記した著書が今回のドラマ内でもクローズアップされるかとおもいます。
「雪女」「耳なし芳一」「ろくろ首」など怪談が超絶苦手な筆者でも知っている物語が収録されています。
怪しい話好きという共通点から次第に心を通わせていった夫婦の作品だったのですね。
小泉八雲記念館情報
小泉八雲の曾孫にあたる小泉凡さんが館長を務める小泉八雲記念館
〒690-0872 島根県松江市奥谷町322
TEL: 0852-21-2147 FAX: 0852-21-2156
まとめ
こうしてみてみると、夢を宣言してがむしゃらに追いかけたり、大きな偉業を成し遂げた女性ではなく、どちらかというと普通の生活を送っている人という印象でした。
その分、筆者としては親近感がわくストーリーになるのではないかと思います。
脚本を手掛けた「ふじきみつ彦」さんのコメントでもこのように語られています。
人生って光でも影でもないところがほとんどだなぁというのが僕の実感です。
キラキラしているわけではないけど影というほど暗くもない、取り立てて人に話すほどでもない他愛もない時間。
そんな光でも影でもない部分に光を当てる朝ドラを書いてみたい。
今回のモデルである小泉セツさんのことを知ってそういう考えに至りました。
セツさんは特別なことを成し遂げたりとてつもない夢を叶えたりした人ではありません。
少し変わった、しかし何気ない日常を送った、言ってみれば普通の人かもしれません。
だけど、だからこそ愛おしいのです。
どんなドラマが描かれるのか、今から楽しみですね!
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